芙蓉部隊は、戦闘機による体当たり攻撃を行う部隊ではなく、夜間爆撃を主任務とする部隊として、静岡県の藤枝基地で編成された日本海軍の航空部隊です。このとき、第901海軍飛行隊長であった美濃部正少佐 が飛行長となり、部隊の指揮を執りました。
「芙蓉部隊」という名称は、藤枝基地から芙蓉峰(富士山の別名)が見えたことに由来しています。
芙蓉の名は、部隊の象徴として用いられました。芙蓉部隊は、昭和20年(1945年)5月から終戦まで、岩川基地(岩川海軍航空基地)を拠点として出撃しました。

編成と任務の特徴

芙蓉部隊は、静岡県の藤枝海軍航空基地で編成されました。
もともとフィリピン方面で戦闘に参加していた複数の海軍飛行隊の飛行隊員を中心に構成され、
戦局の厳しさが増す中で、新たな運用方針のもとに編成された部隊でした。その任務は、夜間に出撃し爆撃を行うことを主とするもので、当時としては異例の運用でした。

岩川基地での活動

昭和20年(1945年)5月から終戦まで、芙蓉部隊は岩川基地(岩川海軍航空基地) を拠点として活動しました。岩川基地は、徹底した偽装が施された基地であり、終戦まで米軍に発見されることはなかったと伝えられています。

指揮官と部隊の特徴

芙蓉部隊の運営には、第901海軍航空隊長であった美濃部正少佐 が深く関わりました。美濃部少佐は、部下の命を重視し、より合理的な作戦運用を模索した指揮官として知られています。

→美濃部少佐について

戦後に伝えられる芙蓉部隊

芙蓉部隊は、昭和20年8月の終戦とともに解散しました。その活動は長く知られることがありませんでしたが、元隊員や関係者、地域住民の証言により、現在では岩川の地域史の一部として語り継がれています。

さらに詳しく知るために

芙蓉部隊について、
より詳しい内容は次のページで紹介しています。

芙蓉部隊のヒストリー

美濃部少佐について

芙蓉色のマフラーと地域とのふれあい