芙蓉部隊誕生の背景
太平洋戦争末期、日本の戦局は急速に悪化していました。航空戦力の不足が深刻となる中、
日本海軍ではさまざまな運用方法が模索されていました。
そのような状況のもと、夜間爆撃を主任務とする航空部隊として芙蓉部隊が編成されることになります。
藤枝基地での編成
芙蓉部隊は、静岡県の藤枝海軍航空基地で編成されました。
もともとフィリピン方面で戦闘に参加していた
- 第804海軍航空隊
- 第812海軍航空隊
- 第901海軍航空隊
これらの飛行隊員を中心に構成された部隊でした。
このとき、第901海軍航空隊長であった美濃部正少佐 が飛行長となり、部隊の指揮にあたりました。
任務と作戦の特徴
芙蓉部隊の主な任務は、夜間に出撃して爆撃を行うことでした。
当時、多くの航空部隊が体当たり攻撃を中心とする特別攻撃に投入される中で、芙蓉部隊は夜間爆撃という運用を行った異例の部隊であったといえます。
使用された主な航空機は、彗星および零式艦上戦闘機でした。
岩川基地への移動
昭和20年(1945年)5月、芙蓉部隊は活動拠点を岩川基地(岩川海軍航空基地) に移しました。
岩川基地は、芝張りの滑走路を持ち、徹底した偽装が施された基地でした。昼間は刈草を敷いたり、牛を放牧したりするなどして航空基地であることを隠していたと伝えられています。
岩川基地からの出撃
芙蓉部隊は、岩川基地を拠点として夜間に出撃を行いました。
米軍に発見されることなく、終戦まで活動を続けたことは、岩川基地の偽装が徹底していたことを示しています。
この期間、芙蓉部隊は厳しい状況の中で任務にあたっていました。
終戦と部隊の解散
昭和20年(1945年)8月、終戦を迎えたことにより、芙蓉部隊は解散となりました。
多くの隊員が故郷へ戻りましたが、戦争体験はそれぞれの人生に深く刻まれることとなりました。
戦後に語り継がれる芙蓉部隊
芙蓉部隊の活動は、戦後しばらくの間、広く知られることはありませんでした。
しかし、元隊員や関係者、地域住民の証言、資料の発掘などにより、徐々にその実像が明らかになってきました。
現在では、岩川の地域史の一部として、芙蓉部隊の歴史が語り継がれています。
芙蓉部隊のヒストリーが示すもの
芙蓉部隊の歩みは、戦争という極限の状況の中で、どのような部隊運用が行われていたのかを知るための重要な記録です。
それは、過去の出来事としてだけでなく、
「リアルを知り、戦争とは何かを考える」
ための史実として、今に伝えられています。
